新しい職場が退職ラッシュ

昨年の夏、約10ヶ月の就職活動の末、地元企へ中途入社した。たくさんの企業に応募書類を送ったのだが、その中でも印象が強かったのがA社。巨大オブジェが睨む待合室、圧迫に近い面接の末になぜか採用されたが、内定通知に走る「一緒に夢をかなえましょう!」の一文に虫唾が走りお断りした。一緒に夢をかなえるもなにも、面接で私の夢を語った覚えはないし、採用担当者の夢も聞いていない。というか、かなえるも何も私には夢がないのだから。そんな本人にも言語化されていない夢を、採用担当者が透視できて、内容は想像もつかないが彼の夢と同時にかなえましょうって言うのならやっぱり気持ちが悪い。

あとはB社、カンニング推奨のもと適正診断を2回やり、挙句に不採用。馬鹿にされまくった。

そろそろ就職活動も限界ですって時期に今の会社に内定をもらい、今に至る。入社してみるといろいろなことが気になりだしたが、まあ目をつぶれないでもないと思っていたがここにきて空前の退職ラッシュ。毎週誰かしらお世話なりました行脚をしている。私が入社してから、その後の新入社員は中途も含めて0である。先細っていく社員数と天井知らずの平均年齢、その先にかなえる夢とはなんなのだろうか。

~ありのままで~2011

転職をして約半年。年末が近づき大掃除のことを考えつつできないでいる。第一関節オーバーまで挿入されるA課長の鼻掃除を眺めながら思うことがある。上司とはなにかと。

昔勤めた会社に、J部長という男がいた。彼は長身でハゲていた。しゃべり方こそゆっくりだが、変わり身の早さたるや、その航跡を見つめることのできる動体視力を持つ者は社内にはいなかった。いつだって変わり身きった後の彼の姿。アースラのような夫人が牛耳る一族経営の中、彼だけ外部からの取締役というポジションが物語っていた。

 

彼はある商品の仕入れを一任されていた。売れ筋だったので在庫の変動が激しかったのだが、常に品薄状態。というか在庫切れがデフォルトだった。かと思うと急に売れない商品を大量入荷し、狭い倉庫をパンパンにし、作業員の身動きを制限した。当然のごとく社長や周りに避難されるのだが、彼は気にする素振りがなかった。わたしはその彼の態度は、底知れぬ深い考えがあっての在庫コントロールを示しているのだと思った。いや、そうであってくれという願いも込めて、あるとき彼に尋ねた。「部長は在庫のことであれこれ言われてますけど、どういう風に考えてるんですか」と。すると彼は天を仰いで、ゆっくりと言葉を返した。「俺はね、在庫がないときは、(ああ、在庫がないな)と思っているよ」と。「それでね、大量にある時は(いっぱいあるな)と思っているよ」と。笑顔と共に締めくくり、これ以上続く言葉はなかった。

 

これは3年前の冬のことだが、彼はありのままの先駆者だったのだ。営業スタッフに流布した途端、非難を浴びた部長の言葉たち。だがわたしは50歳を超える男の生き方を象徴するとも言えるそれらに、未だに深い意味を探し続けている。

ボーナスが出た

そういえば前職場でのボーナスは1万円の商品券だった。これが百貨店でしか使えないものだったのだが、あっけにとられて固まるわたしに経理兼専務兼人事掌握権の社長夫人は「本来なら入社半年の君には出ないんだけど特例よ」と続けた。分かりやすい経営者還元型経営を目の当たりにし、絶望と特例を受け取った。

特例がなんだか汚いもののような気がしてきて、どうにか洗浄したかった。三越派か高島屋派と言うと楽天市場派の私には使い道がなくて、バレンタインフェアでチョコを買って男性社員へとマネーロンダリングを展開した。

そんな会社を寿円満退社し、なんとか転職に成功し入社5か月。決して多いとは言えないが、お金のボーナスを受け取った。やはり夫人への違和感と、特例への気持ちの悪さを感じた感覚は正常だったのだ。転職は成功だ。しかしこのご時世、今の会社がつぶれてしまう可能性だってあるのだ。夫人に怯えて過ごした日々だって、辞めたことを後悔する日が来るのかもしれない。何が正しくて何が間違っているのなんか誰にもわからない。なんにせよ、マネーロンダリングチョコレートで釣れた男性社員と結婚した私の未来は褐色だ。

老化のはじまり

年の瀬も近づき、紅白歌合戦の出場歌手が発表された。
セカオワは何となくわかるのだけど、ゲスの極み乙女サカナクションとの違いが判らない。
これが老化なのか。
どうやら私たちの世代で言うバンプ的な位置づけのようだ。
午前二時に見えないものを見ようとして望遠鏡をのぞきこんで
今というほうき星を追いかける人たちだ。

中二病もこじらせ続けると商売になることを体現したのだ。うらやましい。
午前二時に中間テストのために徹夜しようとしたけど集中力が続かず、
鏡をのぞきこんで眉毛を抜いていた私とは違う。

わたしは今年31歳なのだけど、最近近くのものが見えない、気がする。
これが老化なのか。
レーシックの後遺症かもしれない。
もともと強い近視で、東日本大震災の後に犬と共に逃げたり
犬と共に避難所生活を送る生活を想像し、
防災グッズを買う前にコンタクトレンズを捨てたのだ。

あの時の何とも言えない不安感は完全に喉元を過ぎ去り、
ガス欠ギリギリまでスタンドに行かないし、
ドラマを邪魔する地震警報にイラついたりしている。

セカオワの魅力、近くのもの、失われた防災意識。
そんな見えないものを見ようとして、老眼鏡を買おうか迷っている。