~ありのままで~2011

転職をして約半年。年末が近づき大掃除のことを考えつつできないでいる。第一関節オーバーまで挿入されるA課長の鼻掃除を眺めながら思うことがある。上司とはなにかと。

昔勤めた会社に、J部長という男がいた。彼は長身でハゲていた。しゃべり方こそゆっくりだが、変わり身の早さたるや、その航跡を見つめることのできる動体視力を持つ者は社内にはいなかった。いつだって変わり身きった後の彼の姿。アースラのような夫人が牛耳る一族経営の中、彼だけ外部からの取締役というポジションが物語っていた。

 

彼はある商品の仕入れを一任されていた。売れ筋だったので在庫の変動が激しかったのだが、常に品薄状態。というか在庫切れがデフォルトだった。かと思うと急に売れない商品を大量入荷し、狭い倉庫をパンパンにし、作業員の身動きを制限した。当然のごとく社長や周りに避難されるのだが、彼は気にする素振りがなかった。わたしはその彼の態度は、底知れぬ深い考えがあっての在庫コントロールを示しているのだと思った。いや、そうであってくれという願いも込めて、あるとき彼に尋ねた。「部長は在庫のことであれこれ言われてますけど、どういう風に考えてるんですか」と。すると彼は天を仰いで、ゆっくりと言葉を返した。「俺はね、在庫がないときは、(ああ、在庫がないな)と思っているよ」と。「それでね、大量にある時は(いっぱいあるな)と思っているよ」と。笑顔と共に締めくくり、これ以上続く言葉はなかった。

 

これは3年前の冬のことだが、彼はありのままの先駆者だったのだ。営業スタッフに流布した途端、非難を浴びた部長の言葉たち。だがわたしは50歳を超える男の生き方を象徴するとも言えるそれらに、未だに深い意味を探し続けている。